福祉教育実践研究報告
◆[連載コラム] ソーシャルワークとリサーチ あれやこれや
安藤 幸(京都大学大学院教育学研究科)
④「あなたには、わたしたちの苦しみはわからない」
連載も第4回目の記事です。第1回ではアメリカでソーシャルワークの学生そして教員として私が携わった教育・研究のこと、第2回では価値に基づく学問および専門職であるソーシャルワークの教育・研究のこと、第3回ではSocial Work Scienceについてお話ししました。今回は、「当事者」性について考えたいと思います。
さて、今回の表題は、アメリカの日系3世の人から言われたことです。もうずいぶん前のことです。私がアメリカ在住中、日系人の心理社会的適応について調べ始めたころに出会った人で、ご家族で日系人強制収容を経験され、ご自身は戦後とある分野の研究者になって活躍されたのち、日系人や外国人住民の権利擁護などの活動をされていました。私はすでにアメリカで移民として生活しており、世代は違ったとしても同じ目線で話しができると思っていたので、この一言には衝撃を受けました。もちろんこれはその人の意見であって、日系人すべての総意ではないのでしょう。しかし、そのときの私は、越えてはならない、もしくは越えられない壁があると感じました。今になって思えば、当時の私には研究者の視点が十分に備わっていませんでした。
「当事者」の語りや視点はとても大切です。しかし、研究においては、当事者個人の語りを過度に重視するのではなく、多くの当事者からの語りを客観的・理論的に整理していく必要があります。岡(2009)は当事者学と当事者福祉論とを区別し、当事者福祉論においては、多くの当事者の個人的な体験から得られる知識を集積し、結晶化させ、「体験的知識」を構築することが必要だといいます。
今、『調査されるという迷惑』(宮本・安渓 2008)を読み進めています。調査は、協力者(当事者)のためにはならず、かえって中央の力を少しずつ強める作用をしている場合が多い、との著者らの見解にはヒヤリとしました。調査は、当事者から情報などのリソースを搾取するものであってはならない。また、調査の成果は、当事者と共有するなどしてきちんと還元される必要があるというのです。
私はいま、全域が過疎地域に指定されているとある地方の町で、介護福祉を学び働く外国人を取り巻く住環境に関心を寄せています。2022年度は、留学生と共に「フォトボイス」を行いました。留学生に日常生活の写真を撮ってもらい、それぞれの写真に自らの語りをつけてもらいました。市役所の協力を得て共有スペースにフォトボイス作品を展示し、一般市民に公開しました。一般市民からは、「〇〇(地域名)の四季を感じてほしいな」「君たちに元気をもらったよ」「○○のいろいろな場所を写真に残してくださってありがとう」といった心温まるコメントが寄せられました。
このような取組みは、ソーシャルワークの教育と研究にとっても意義があります。まず、関わる人たち(ここでは外国人住民および一般市民)のエンパワメントにつながります。外国人住民が、自分たちが暮らす地域を可視化することによってa sense of belongingness(居場所、とでも言えるでしょうか)を得ることができます。そして、体現化された作品を目にした一般市民は、外国人住民が同じものを見て感動していること、また、違った視点で地域を見ていることに気づくことになり、自分たちの地域におけるa sense of entitlement(地元民としての誇り、と言えるかもしれません)を外国人住民と共有することになります。このような相互の交流は、共生社会の構築につながるのではないかと考えます。もちろん、取り組みの波及効果については、今後きちんと調査していく必要があります。
当事者は時として、「社会的弱者」です。「あなたには、わたしたちの苦しみはわからない」というのは、たしかにそうかもしれません。私は、あなたにはなれないし、あなたと全く同じ経験をすることが難しい。だからこそ、価値や倫理を大切にするソーシャルワークの教育者や研究者である私たちは、当事者の語りに真摯に耳を傾け、課題やニーズそしてストレングスを共に探究し、研究結果をもとに当事者を代弁(アドボケイト)する役割も担っています。
さて、以前から「ソーシャルワークにおける混合研究法について理解を深めていきたい」と言いながら、まだ手をつけられていません。次回こそは、ソーシャルワーク教育研究について考えをまとめていきたいと思います。
参考
宮本常一・安渓遊地.『調査されるという迷惑—フィールドに出る前に読んでおく本』, みずのわ出版, 2008年.
岡 知史.『「当事者福祉論」とは何か—当事者の福祉活動への参加を支援する福祉学の可能性—』, 日本社会福祉学会第57回全国大会, 2009年.